
彼の影響で次のシューズはNIKEになりそうです。
背番号2の石田です。
今日は自分のフットボール歴をまとめたいと思います。
★中学1年生
永平寺中学校サッカー部に入部する。技術も身長もなく、「ダッシュするだけでいい」という指示をもらいFWでプレー。オフサイドも理解できていませんでした。1番嫌いだった練習はリフティング。10回もできませんでした。
★中学校2年生
3年生(数名がフットサル県1部の「ZEN」で活躍中)が抜け弱小チームに。諸事情により冬に部を辞めサッカーから離れる。
★高校時代
放課後に軽くボール蹴ったりする程度でした。
★専門学校時代
ここで後のタマケリNo.6ミッチーと出会う。このころも休みの日に母校の小学校のグラウンドでボール触るくらいでした。
★就職
この間ほとんどボールを蹴らず。
★07年
(22歳)
サッカーチームAMIK(現在県リーグ3部)に入団。左もそこそこ蹴れるという理由で左サイドハーフのポジションでプレー。
(23歳)
フットサルを始めるきっかけとなるパトリオットの練習に参加し始める。ここでタマケリNo.11前田、No.22稲田らと出会う。
Fリーグが始まった年でもあり、名古屋×浦安を見に行く。ボラ(現・湘南)の足技に言葉を失う。
★2008年
(23歳)
なにも結果を残さないままAMIKを退団。フットサルに力を入れ始める。
ビーチサッカーチームRioを立ち上げる。ホームコートは三国サンセットビーチ。ここで出会ったのはタマケリNo.7井端やNo.3原田。
(24歳)
ビーチサッカーはいまいち『波』に乗らなかったのでフットサルチームに転向。ここでタマケリNo.9古木と出会う。練習は毎回3人前後でした。
2009プーマカップ福井県予選準決勝・ジョガボーラ×コスモFCを観戦。惜しくもコスモが負け、知り合いのようすけ君(現・ジョガボーラ)が試合後に大泣きしているのを見た。心を打たれ、上手くなりたいと思う。
★2009年
(24歳)
Rioをミックスチームに転向させる。現在多くの人が集まるきっかけとなる。ここでマネージャーの重田や安屋と出会う。
コスモFCに入団。初の公式戦は足が奮えました。
(25歳)
古木とともに球蹴組合を立ち上げる。目標は市民リーグ優勝。
2010年
(26歳)
現在に至る。
リレートーク2週目。みんなも自分のスポーツ歴なんか書いてみては?
では次回はタマケリマネージャーのひとり、重田じゅんこさんです!!